1948-06-15 第2回国会 衆議院 予算委員会 第33号
加藤シヅエ君 黒田 寿男君 田中 松月君 田中 稔男君 中崎 敏君 中原 健次君 梅林 時雄君 川崎 秀二君 小島 徹三君 田中源三郎君 長野重右ヱ門君 笹森 順造君 大神 善吉君 中村 寅太君 世耕 弘一君 野坂 參三君 出席國務大臣 内閣總理大臣 芦田
加藤シヅエ君 黒田 寿男君 田中 松月君 田中 稔男君 中崎 敏君 中原 健次君 梅林 時雄君 川崎 秀二君 小島 徹三君 田中源三郎君 長野重右ヱ門君 笹森 順造君 大神 善吉君 中村 寅太君 世耕 弘一君 野坂 參三君 出席國務大臣 内閣總理大臣 芦田
西村 久之君 海野 三朗君 岡田 春夫君 加藤シヅエ君 黒田 寿男君 田中 松月君 米窪 滿亮君 田中源三郎君 押川 定秋君 川崎 秀二君 小坂善太郎君 長野重右ヱ門君 松本 瀧藏君 大原 博夫君 中村 寅太君 野坂 參三君 出席國務大臣 内閣總理大臣 芦田
總理大臣芦田君の答にも、事柄の何ものであるかをまだ鈴木法務總裁が調べんのに、それにも拘わらず、強力な、何かまあ本質的な彈壓政策、それを行うような組織を作らなければならなというやうなことを言うということは、一體どういうことであるか。更に大臣の言葉の中にも大暴動云々というようにいわれておる。併しそういうことは、一體誰が考えるか。私は勞働運動について長年研究しておる。
それならば閣議において、片山總理大臣、芦田外務大臣にまかして、どちらでも国家のためによい方に裁断してもらおうではないかということで話合いがついて、そういうように頼んだのであります。